池田貴族さんへ
あの日から今日で20年経ちました。
今年もこの日のブログが書けるくらい僕は元気に生きています。
この世では、20年で変わらないこと、随分変わったことたくさんあります。
あの年、1999年、圧倒的な強さでセリーグを制した中日ドラゴンズは10勝を挙げた岩瀬仁紀投手がリリーフとして1000試合登板を果たし昨年引退、今はあの「ハンガー」与田投手が監督に就任し低迷の中でも、若手中心の新しいドラゴンズを作っています。
当時の監督、星野仙一さんとは天国でまた対談しているのでしょうか?
最後までお友達だった山﨑武司選手は今は東海ラジオで、エース川上憲伸はCBCラジオで、そして福留選手はなんと阪神で現役です。
そして貴族さんの先輩たちであるロックミュージシャンもそちらへ旅立ちました。忌野清志郎さん、内田裕也さん、萩原健一さん。随分とにぎやかしい世界になっているかと思いますが。
あの頃のメンバーも元気です。
貴族さんの千種高校の先輩、舘ひろしさんは今年日本で開催されるラグビーワールドカップのアンバサダーとなり、今度僕のプロデュースするdelaと一緒にイベントに出ます。
20年前、超満員のセンチュリーホールで一緒に通路で座ってみていたボランティアの若者、岡本康宏君はこの春なんと名古屋市議会の副議長に就任しました、実は今日、20年経ったのでその話をしに名古屋市役所に行ったら秘書さんが2人いる副議長室で名古屋市のために精力的に働いていました。
千種高校の生徒会諸君もいまや38歳、いいおっさんになっていると思います、あ、あとつボイノリオさんは朝から下ネタのメッセージを読みながらバリバリの現役DJです。
僕は、まあ、好き勝手に生きています。
まさか芸能界に足を踏み入れるとは当時は思ってもみなかったのですが名古屋の事務所でプロデュース業を頑張っています。今日はフジテレビさんと地元の中京テレビさんから素敵なお話もいただきました。池田貴族さんの繋いでいただいたご縁が巡っているのかもしれません。
個人的にはこの1年、沢田研二コメンテーターとしてTBSのサンデージャポンに出たり、週刊現代で誌面対談させていただきました。
ちなみにジュリーは70歳を超えてもまだ全国ツアーを続けて歌い続けています、凄いでしょ。
貴族さんが救ったあしなが育英会も任意団体ではなくなり、交通事故遺児からいまは自死遺児のフォローに力を入れています。
残念ながら、貴族さんが「死にたくない死にたくない」「天国なんかいかなくていい」と歌い「死ぬなら代わりに命をくれ!」と叫んだあの日から、日本の自殺者は相変わらず多いままです。
自殺どころか、自暴自棄になり、罪のないひとや幼い子供も巻き添えにする者までいます。
それをしり目に国の上層部と上級国民たちは忖度と依怙贔屓に明け暮れ、奢り高ぶり、金持ちはさらに金持ちになり、弱者はなかなか這い上がれません。そんなこの国の現状を、真実を街頭で訴える山本太郎はネットで嘲笑されてしまいます。
なんだかおかしな方向へ向かっているのかもしれませんが、みんながそれに気づくのは何年後か・・・・
でも僕らは明日も頑張って生きていきます。
悩みも苦しみも絶望も全ては生きている証、死んだらそれさえ感じない。
だから僕らは池田貴族の遺したものを引き続き伝えていきます。
20年経ちました。僕も力がないながらに伝え続けて20年です。また機会があればどこかでみんなにお話したいと思います。
あの日の出来事と、それに集まった人たちと、成し遂げたことと、もうすぐ10万回再生「池田貴族の遺したもの」について
https://www.youtube.com/watch?v=6L8yTVrZWAY
2019年5月30日
1999年池田貴族チャリティーLIVE「貴族大生前葬」実行委員会事務局長 中村浩一