ジュリーの視点から見れば日本の歌謡界の歴史がよく見える。全ての音はジュリーに通ずる
つづきです。
(文中全て敬称略)
河島英五 「酒と泪と男と女」
2021年のジュリーソロ50周年LIVEで会場中を涙で濡らした名曲「いくつかの場面」の作詞作曲の川島英吾さん、亡くなられて早20年です、
70年代シンガーらしくトークも面白い方で、イスラム圏で旅をしていたときチンピラに絡まれて大ピンチに・・・その時「このアゴを見ろ!俺は日本のアントニオ猪木のいとこだ!」と言って猪木ポーズで身構えると「なに?お前は俺たちの英雄モハメド・アリと戦ったあの猪木の親戚なのか?」と信じちゃってそっから仲良くなった。というエピソードは最高に笑いました。
河島さんの「いくつかの場面」はジュリーが節目節目で必ず歌う素晴らしい曲です、ありがとうございます。
合掌
松山千春「長い夜」 「大空と大地の中で」
※写真を並べたのは特に意味はござません
今では当たり前になった「ベストアルバム」
それまでは数年間第一線で活躍し続けたシンガーがいなかった。1979年、初めて現役でベストアルバムを出したのが沢田研二と松山千春
ジュリーが「ROYAL STRAIGHT FLUSH」
松山千春が「起承転結」
↑
なんですか?!この抜群のタイトル!
タイトルだけで、二人がどういうキャラか?どんなジャンルかまで推測できる、センス素晴らしいよね~って小学生の僕らはどっちか買って貸し借りしてSONYのBHF46分テープに録音しました。
あとはですね、今の若い方は想像できないでしょうけど、松山千春はテレビ出ないんですよ。ジュリーはザ・ベストテン大好きなんですけ、ど甲斐バンドもオフコースもテレビ出ないんですよ。
久米宏さんが申し訳なさそうに「今週も松山さんは出演されません」って。
でも「季節の中で」で1位になった時のスタジオLIVE、そして「長い夜」のLIVE映像だけ放送されたんです。
翌日中学校ではもう大騒ぎでみんな「♪なっが~~~~~~~~~~~~~~いよるを~~」てマネしたもんです。
このあと、たしかテニスボールを後ろ足で蹴るんですよね、カッコよかったですね~。
「大空と大地の中で」はまた改めて書きます。
さだまさし「関白宣言」
松山千春と70年代フォーク~ニューミュージック時代双璧の人気を誇ったのがさだまさし
(2000年ごろ、松山千春とさだまさしの頭髪をアップで写して千春が「おい!やめろ!!!」とガチで怒ってたの面白かった)
でもこの大ヒット曲、今リリースしたら田〇〇子さんと、〇ェ〇〇〇〇団体関係者と、それに便乗して正義を振りかざす社会学者と、ネットから袋叩きにあって「歌手辞めろ!」「引退しろよ!」「謝り方が気に入らない!」「スポンサーに不買運動を!」からのワイドショーで司会者が「いやあ、ありえないですね」となる展開でしょうな。
70年代はこれが許される寛容な時代でした。個人的には数年後の平松愛理「部屋とYシャツと私」どちらも好きです。
森進一「襟裳岬」
おっと、作詞も吉田拓郎かと思ってました。
ザ・スパイダースの前座で「俺は絶対有名になってやる!」と叫んでたという吉田拓郎
同じ時代、異なるジャンルを生きたジュリーと拓郎。
2000年に「LOVELOVEあいしてる」でジュリーと吉田拓郎が「骨まで愛して」をデュエットしてました、その後、10年くらい前にもNHKで対談してましたね。拓郎のラジオ番組ではよくジュリーのお話されてました。
実は作詞・作曲/吉田拓郎 歌/沢田研二の曲があるのです。
フジカラーのCMソング「いま、このときめきを」がそれ。コカ・コーラのCMソングなどが収録されている「ジュリーCMソングコレクション」にも入っていないまぼろしの曲。それをラジオ番組でオンエアした情報が入ったのは随分後で、ほんとかどうか定かではない。
郷ひろみ「男の子女の子」
作詞岩谷時子だったの?!ということはジュリーも郷ひろみもデビュー曲が岩谷時子ってことですな。知らんかった。
ジュリーと郷ひろみのライバル関係(野球チームで対戦したり、新春かくし芸大会で「一等賞は大好きじゃ」と言ったり)はよく知られるところですが、あれはテレビの中の演出・・・・と思いきや
1982年ごろ、ジュリーはLIVE MCで「あいつはテレビで必ず俺の横に立つねん、足の長さを見せつけてくる、そんなん子供の頃食ってるもんが違うからしゃないねん!でも、肌の綺麗さでは負けてへん」といえば
愛知県体育館で開催されたアイドルフェス(これもたしか1982年くらい、タイトル忘れた、川田あつ子とか出とった)に出演した郷ひろみは「How many いい顔」「禁漁区」「お嫁サンバ」のヒット曲連発の途中でいきなり
「イエエエエエエ!!!!」
「ジュリーがなんだあ!!!!!」
「イエエエエエエ!!!!」
「マッチがなんだぁ!!!」
「トシがなんだあ!!!」
とファンと掛け合いを始め、ドン引きしました。
しかも最初がジュリーだった。これははっきり覚えてる。
それでも、80年代後半AORに行ってしまったジュリーが「muda」で正統派Rockに帰還(←毎回これ書くと怒られます、すみません)して初めてテレビに出たのが郷ひろみの番組のゲスト。ブルーのデニムにサングラス、1曲で完全にスタジオの空気を変えるジュリーを見て郷ひろみが笑顔で拍手してた。
ジュリーカッコよかった!郷ひろみやるじゃん!って思った。
そして・・・
西城秀樹「YOUNG MAN」
僕らの世代、もう語りつくせないエピソード満載ですが
ローラとニーナのレコードジャケットを見て「ニーナ」を選択した僕にとってはやはり忘れられない存在です。
ジュリーが訳詞して25周年武道館LIVEのオープニングで歌った「I believe in music」西城秀樹もライブで歌ってました。しかもジュリーの訳詞そのままで、さらに言えばキャンディーズもジュリーの歌詞で「I believe in music」歌ってます。
そしてヒデキといえば何といってもザ・ベストテンでたたき出した9999点!未来永劫破られない記録。
これはジュリーのレコード大賞50.8%、寺尾聡の12週連続1位と並ぶ伝説となっていますね。
こんなに語り継がれ、その年、あらゆる記録を打ち立てた大ヒット曲も「外国の曲だから」という理由でレコード大賞は対象外。これは近年DA PUNPの「U.S.A」と同じ悲劇だったといえるでしょう。
1979年12月31日その瞬間、大賞に「魅せられて」がコールされると、西城秀樹は先に立ち上がってその長身から手を差し伸べて、ジュディオングをステージ近くまでエスコートしたのです。
ジュリーの「カサブランカダンディ」がヒデキに負けるのなら仕方ないと思っていたのに、子供心に「なんで?なんで?」ってなったのと同時に、西城秀樹ってカッコええなあ、って強く印象付けられました。
「I believe in music」 訳詞:沢田研二
歌:沢田研二 西城秀樹 キャンディーズ
いつままででもみんなの前で歌いたい
迷ったりころんだりしながらも
たとえ誰がなんと言おうとも
僕自身の選んだ道だから
(キャンディーズは「私たちが選んだ道だから」)
西城秀樹(LIVE)
※スマホだとリンクが表示されないですね
沢田研二(LIVE)
キャンディーズ
ヒデキがおらんくなってから歌謡界がつまらんくなったなあ・・・
合掌
つづく・・・かもしれん