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◆沢田研二論 「沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ『BALLADE』」愛知県芸術劇場

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お久しぶりでございます、なんとか生きてます。

失った語彙を取り戻すのに必死の毎日です、LIVEに行けなかったファンの皆様のためにも頑張って書きますが読みづらかったらすみません。

 

 

 

 

 

 

2021年6月1日

 

行ってまいりました。

 

「沢田研二2021 ソロ活動50周年ライブ『BALLADE』」愛知県芸術劇場

 

昨年の講演中止時、悔し紛れに自分のTwitterに、53年連続LIVEは継続中だ!と書いてから早1年。

 

 

沢田研二はこんなことで継続を諦める男じゃない、と信じていました。おそらく僕だけじゃなくてファンの全員が。

 

14歳でジュリーのコンサートに行き始めてから、1年半も間が空いたのは初めての経験で、LIVE会場に着いたときは「あー、戻ってきたなあ」という感じでした。

 

 

この2~3年、SNS上でジュリーのファンは急激に増えています、ネット時代の賜物でしょう、Twitterには10代、20代の若い方も散見されます。

 

でも会場はいつもどおりそれ相応のお姉さま方が密にならずに旧交を暖めておられました。

 

僕もLIVE前にいつもTwitterでいろいろ教えていただける公子先輩とお写真を撮っていただきました。

 

 

 

 

 

 

入場時の検温とマスク、嫌な日常の通過儀礼を経て会場に入ると、ステージはいつもどおり、前面のモニタースピーカーはなく、ギターの機材だけ。

 

 

一点、大きく違うのが東京で話題になっていた大きな赤い旗

 

 

 

 

SNS上では「なんだあれは?」と推理が始まっていましたが、答えはこちらだと思います。

 

 

【2018年10月21日大阪LIVEでのMC】

僕は厄介な人間です。あの日、僕は立ち止まりました。というのは神経が違和感を覚え、心が揺れ、循環器系がちゃんと循環しません。そして体幹が大きくぶれました。僕は悩みました。

 

僕は旗を掲げました。白旗ではありません。情熱の赤い旗です。旗を掲げてこの齢でも、また一から頑張ろうという気持ちになりました。甘えてしまいましたが、僕はもう一度、あのさいたまスーパーアリーナ、その客席を満杯にするという新しい目標ができたことを嬉しく思っています。

 

「沢田研二と阿久悠、その時代 井上堯之さんに捧ぐ」 / 著者 秋山大輔 より引用

 

 

 

17時28分

1ベルと再度「立たないように」「声をださないように」の注意事項、いよいよ照明が暗くなり、下手からカズさん、ジュリーの登場です。

 

おや!

 

ジュリー、随分絞りました!衣装似合います。

50代のころの体型に近い!カーネルサンダースじゃなくなったジュリー、かっこええなあ!!

 

 

 

 

 

※以下はセットリストとなります、大阪の方は再度赤い旗が出るまで高速スクロールしてください。

 

 

 

旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1「30th Anniversary Club Soda」 

お?あれ?そうきたか。「バラードライブ」じゃなかったけ?まあ、オープニングくらいは派手に行こうぜってことで。

 

 

2「時の過ぎゆくままに」

イントロで大拍手、来たなあ92万枚ジュリーソロ最大のヒット曲。

照明が芸術劇場の広いステージいっぱいに広がり、紫色に染まります。

 

高音、やや擦れ気味。でも大丈夫、それはもう15年くらい前から。

ライブ中盤になると光が増していくように、この世の音とは思えないビロードの声に変わっていく。

 

MC

皆さん以上に僕がこの(県の決まりによる)客席半分の状況に動揺しています

東京は奇跡的に客席100%でやれました。他のミュージシャンから「LIVEでは声を出せない分、拍手がすごかった」と聞いていましたが・・・・東京ではそんなことなかったです。


(場内爆笑)(このあたりで虫がジュリーの顔あたりに)

 

虫が!虫が!誰やねん?あ・・・ポンタさんか!

(場内拍手)

昭和43年11月1日にソロデビューして、今年で50年、こういう状況でもがんばるしかない!と思っています。

 

 

 

3「君をのせて」

デビュー曲、50年前の岩谷時子さん作詞の名曲

 

 

 

4「追憶」

個人的な話で恐縮ですが、僕が初めて母親に買ってもらったレコードでジュリーの入口だけに思い入れが強い曲です。

 

 

 

(カズさんがアコースティックギターに変えて・・・)

5「海に向けて」

6「あの日は雨」

なるほど『バラードライブ』ジュリーが近年アルバムを出さない理由のひとつに「もうそんなに長く歌えないからあまり歌えなかった曲を歌いたい」との説があります。となると、このあたりのアルバムの曲を予想出来なかったのは未熟でした、悔やまれます。

 

 

(エレキに変えて)

7「コバルトの季節の中で」

小谷夏=あの演出家の久世光彦さん作詞、ジュリー作曲、1976年の曲です、元々エレキギターのイントロですから違和感なく聴き込めます。

 

ここまででA面曲がなんと4曲!

すごい、近年稀にみる確率で演ってる、これなら初めて参加された方も楽しめますね。『バラードライブ』企画大成功か?

 

 

 

8「根腐れpolitician」

ん?あれ?やるのね?『3.11コーナー』今回もやるのね?

思いっ切り「ペラノミクス!!!!」ってシャウトした?

途中歌詞変えて「根腐れ●●●●」って叫んだ?なんて変えた?よく聞こえんかったけど。
まあ、どうせ政権から嫌われてるからいっかあ・・・

 

 

9「三年想いよ」

いやあ、いいなあ。でも歌詞の「おばあちゃん~ご~めん」とか初めての方、ビックリしてない?ついてきてる?

あのですね、ジュリーはですね、この東日本大震災被災者の方々に向けてのコーナーは自分が好きにやってるから気に入らなければ聞いてなくてもいいって言ってたくらいですからね、わかんなくてもいいんです。それも沢田研二なんです。

でもここまでやるならいっそ「東京五輪ありがとう」でも良かったんじゃね?と思ってしまう。

 

 

 

10「雨だれの挽歌」

おおおおお~1978年、全曲作詞:阿久悠&作曲:大野克夫の3部作の最終アルバム

『LOVE 〜愛とは不幸をおそれないこと〜』から

個人的にはこのアルバムから「赤と黒」を予想してました、また外れ。 

 

 

 

11「TOKIO」

え?え?え?イントロ違う。すごいアレンジ、バラード調のTOKIO

あれ?『バラードライブ』は?でもTOKIOオリンピックだし、加瀬さんの曲だし、なんかお客さん喜んでるし、いいか。

「♪かーなしい男が吠える街!」の後の「ガオ!」がなくなりました、ちょっと寂しいです。

途中フォー!ファイブ!トゥー!(452?)と何度か叫んでいたように聞こえましたが、なんでしょう?また新たな謎が・・・

 

 

 

12「渚のラブレター」

お~、この時代のLIVEで聴けるとは!

そうか、ボーカル沢田研二×ギター柴山和彦が邂逅した『GS ILOVEYOU』からのバラードを予想してましたが、その次、まだALWAYSとバンド名がつく前「渚のラブレターバンド」と名乗っていた時の。

ザ・ベストテンに返り咲いて「3か月間ベストテンに呼ばれなかったから不安でしょうがなかった」と語った復活曲、渚のラブレター!

これもギター曲だから、しっとり歌うのではなく当時のままのリズムとギャンギャンのギターで、このほうがカッコいい!

1番の歌詞でお得意の?「倒置法」も炸裂!これがないとLIVEに来た気になれない。

 

 

 

13「明日は晴れる」

2003年白井良明アレン時代代のアルバムから、何度も書きますがこのあたり2000年代に埋まっている名曲ほんと多いんですよ、もっと聴きたいですね。

 

 

 

14「ISONOMIA」

2017年作品、ギター曲ですから、はい。いいんですよ。白井良明さん好きです。

 

 

 

15「届かいない花々」

2004年のアルバム『CROQUEMADAME & HOTCAKES』収録曲

「銀の骨」や「嘆きの天使」と同等に隠れた名曲としてファンに愛されている曲です。

ジュリーがテレビに出なくなってアルバムとLIVEに注力していたころ、名古屋の東海ラジオで「沢田研二は消えたとか言われているが毎年素晴らしいアルバムを出してLIVEを続けている」と唐突に生放送でオンエアされた曲です。

そのときのパーソナリティさんは覚えてませんが、僕がもしジュリーの曲を紹介できる機会があれば必ず東海ラジオでやろう。と決意したきっかけとなった曲です。ジュリー作詞の歌詞の内容がとても深く、個人的にも思い入れがあります。

歌い上げる、まさにジュリーの声量が最大限に発揮される曲であり、このあたりで沢田研二という二度と出現しないであろう天才歌手の存在を1200人の観衆に見せつけていました。

鳥肌が立ちました。

 

 

 

16「いくつかの場面」

多くのファンの方が予想されたであろう、ジュリーの歌手人生を振り返った歌であり、節目では必ず歌ってきた曲です。

気づくとステージ上はスタンドマイクに変わっていました。

いつもならスタンドマイクに変えるとそれは「勝手にしやがれ」に入るルーティーンですが、今回はバラードでのスタンド。

なぜか?

それは歌の後半で圧倒的な回答を観客に投げかけられました。

「できるならもう一度、僕の回りに集まってきて優しく肩たたき合い抱きしめてほしい」

故河島英五作詞のこの歌詞でジュリーはおもむろに両手を広げます。

あたかもたくさんの仲間と円陣を組むように。

 

東京LIVEを見た桟敷さんも書いてましたが、ジュリーとカズさんしかいないはずの今回のステージ。

 

でも、僕にも、そして会場の多くのファンには確かに見えていたのです。

 

ジュリーとステージ上で肩を組む加瀬さん、ZUZU、ショーケン、シロー、ポンタさん、志村けんさん、阿久さん、井上堯之さん・・・

 

ジュリーを支えてきた仲間達、後ろで、横から、みんなで歌っているジュリーを囲んで優しく微笑んでいる姿。僕らは確かに、それが見えていたのです。

 

僕は50回以上LIVEに来ていますが、この光景に初めて涙がでました。

今の日本の状況、僕以外にも自分とダブらせた方もいたはずです。

 

ジュリーは広げた両手を少しずつ閉じていき、胸の前で大切なものを守るかのように抱きしめました。

 

それで、いつものように「ありがとう、サンキュー、ありがとうね」と言い残し、カズさんとステージを去りました。

 

 

 

 

 

 

アンコール~MC

 

どうやったらLIVEができるかと考えた。クラシックはOKだが、ロックはダメだと言われた。なんでやねんと思ったが、僕は考えて全部スローな曲ばかりしにたらどうか?と、それならいいというのでそれからは各自治体のルールと照らし合わせてこうなった。いろんな偶然が重なって東京は100%の観客でやれることになったが、他は50%での開催。

これはタイガースではなかったことで、その後のPYG、姫路でのコンサートでは観客より僕らの方が多かったことがあった
(場内笑い)

 

幸運が幸運を呼んだ、これはやっぱり鬼籍に入ったひとたちがそうしてくれたのかなと思っている。

父は101歳まで生きた。母親は57歳?

また満員のお客さんの前でできるように頑張ろうと思う。そのためにお酒もガマン。

ポンタさんはお酒が大好きだったが、僕はこの1年控え目にした結果、お酒が僕のあの原因だったとはっきりした。

(場内笑い)

 

ポンタさん、小松政夫さん、シロー、みんな鬼籍に入ってしまった。

コロナになってからポンタさんから電話があった、事務所に荷物を取りに行くからと、それが最後の会話になった。

シローは最後はおいしいものも食べられないまま息をひきとった。

 

また、満員のお客さんの前でやれるように頑張ろうと思います。

 

 

 

 

17「ヤマトより愛をこめて」

 

中将タカノリさんのWEB AERAへの寄稿のタイトルになってましたが、「今はさらばと言わせないでくれ」の歌詞が入る1,978年、さらば宇宙戦艦ヤマトのヒット曲をアンコールで演ってくれました。

僕的には今回の最大のヤマ場は「いくつかの場面」なんですが、やはりこの曲、この季節は染みていきますね。

 

 

 

18「ハートの青さなら 空にさえ負けない」

 

最初の「ダーダダ」から走り回ります。

何をもって『バラードライブ』か?ジュリーはいつ予想を裏切り続けてきましたが、もうそんなことどうでもいいんです。はい!騙されました、僕もみなさんも、それでいいんです。だって沢田研二だから。

最後まで走りながら歌って、全く息がきれない72歳、今月73歳!

しかも絞ったから身体も軽そうです。

こりゃ、この爺さん、またコロナ明けたら飛ぶな、80歳くらいまでは。

 

 

 

 

 

 

去り際、最後に観客に向かって

 

「生きててねー!」「生きててねー!」と繰り返して、ジュリーは去っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗旗

 

 

ジュリー54年目のLIVEが終わりました。

 

 

2021年でもくたばってなかった、諦めてなかった、続けることしか信じられない男はまたLIVEを継続しました。

 

 

コロナ渦の異例のコンサート

 

 

またなにかしでかした。と言われてもいいじゃないか。と言っていましたが、どうやら沢田研二は全然納得していません。

 

 

「満員のお客さんの前で歌いたい」

 

 

 

 

 

 

今回、何度も繰り返していたこのことば。

 

ザ・タイガースでデビューしてから、いや、そのもっと前から、大阪、京都のアマチュアバンドの時代から一切ブレずに言い続けています。

 

 

 

 

SNSではYoutubeの中でしかジュリーを見たことのない方々が多く初参戦されたようです。

 

 

「本当に実在したんだ!」

「沢田研二が動いていた、歌っていた」

「間に合ってよかった!」 ←なにがじゃ!(笑)

 

 

 

僕もLIVEに初参戦してからまだ39年の「新参者」です。

 

 

39年間で1年も休まず50回以上のLIVEに行きましたが、歌を聞きながら涙が出たのは初めてでした。

 

 

 

多くの友人を亡くしたジュリーの想いと、他にもご自分のこの苦しかった1年と重ね合わせた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

これほどの圧倒的なパワーを持った歌手がまだ日本にいることをもっと多くのひとが知るべきだと思いますし、何より

 

 

今の日本にはエンターテイメントが必要だと強く思います。

 

 

 

 

 

 

なにが不要不急か?

 

 

そもそもこの国が暗闇に閉ざされたとき、エンターテイメントが岩戸の扉を開かせて光を取り戻したと、最古の文献に書いてある。

 

 

今こそ、暗く沈んだこの国に光を灯すLIVEを復活させるべだ、むろんルールを守って。

 

 

ロックがダメならバラードで、と。

 

 

ギター一本で、ボーカルがむき出しになるリスクを逆に武器に変えてしまう歌唱テロリストがいるじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

日本には必要なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな時代に必要なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今こそ必要なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沢田研二が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます、誤字脱字、セトリ順番間違いはご容赦ください。尚、MCも記憶と一部メモを基に書き起こしておりますのでところどころ言い回しが異なると思いますが、概ね趣旨はそんな感じじだったとご理解いただけますと幸いです。

中村浩一

 


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